神楽と私-地域に学ぶ・地域に生きる-
2018.07.18
神楽は、広島の大切な伝統文化です。 人文学入門の受講生は、神楽を題材としたテレビドラマを鑑賞し、これをふまえて地域の伝統文化の継承について考え、ミニレポートにまとめました。記された言葉の一端をご紹介します。
「神楽は踊るのではなく舞うの! 『舞う』というのは、飛び跳ねるのではなく、しっかり地に足をつけることを言うの!」-私はそのことを知って、「踊る」と「舞う」の違いを辞書で調べた。「踊る」は手と足をあげて跳ねることをいい、「舞う」は回ることを言うそうだ。神楽にはよく、高速でアクティブに回転する場面がある。だから神楽は「舞う」なのである。
神楽の本質にせまる手がかりとして捉えられた「踊る」と「舞う」の違い。それを調べ探究することで神楽という伝統文化の理解が深まっていきます。
授業が終わり、祖母に神楽を知っているかと聞いてみた。そこで初めて知ったのだが、今は亡き祖母の叔父が神楽をしていたそうだ、それを聞いてとても驚き、そして身近な人が神楽をやっていたことで「神楽」に親近感が湧いた。
身近な人たちが楽しみ、長い年月大切にしてきた「神楽」。若い世代がひとつのきっかけを生かして神楽に親しみ、関わっていく中で、次代に伝えることもできるのだと思います。
神楽の魅力といえば、人の味が出ることだと思っている。舞う人によってそれぞれの良さが違うところが面白い。人工知能が進歩している今だが、ロボットの神楽に感動しない自信がある。神楽は人間にしかできない大事な日本ならではの伝統芸能といえる。-中略- 歌舞伎のほうが有名だが、神楽ももっと世界に評価されるべきだと思う。
生身の人間が目の前で舞い、演じる神楽の魅力。それは、テレビや映画とも異なります。AIには出せない「味」、そこに「人」が生きています。
中学生の頃、ホームスティを受けたハワイの留学生と神楽を観に行った、あらかじめ英語版の前書きを読み、観覧した留学生は、「言葉は難しくてあまり分からなかったが、ストーリーは分かって、迫力も楽しめた」と言った。言葉は分からなくても日本の素晴らしい伝統文化は伝わると感じた。もっと海外へ広めていくべきだと考えています。
広島ではこの取り組みも進められています。日本文化学科の授業「日本を伝える英語」もこれに一役買えるのではと思っています。
小学5年生のときだ、自分の住むまちは新興住宅地だが、周辺の山裾に小さな村があり、その村の秋祭りで見た神楽に感動したことをよく覚えている。華やかでダイナミックで、なおかつ繊細な表現も多く盛り込まれていて、舞台から目が話せなくなった。それまで意識したことがなかった演目の独自性や台詞にも目を向けると、舞としてだけでなく、異種の芝居としての神楽も感じられ、いっそう魅力が深まった。特に好きな演目は、「瀧夜叉姫」で、鬼女となった姫と闘う場面の迫力に惹きつけられた。-中略-小5のときに私を強く揺り動かした感動を忘れかけていたが、ビデオを見て、憧憬の念を思い起こした。郷土の歴史や伝統芸能を学び、継承していくことは、先人たちの紡いできた物語を繋いでいくということだ。科学技術の発展によって文化や慣習の同一化が進んでいく現代社会の中で、少しずつ失われ、忘れられていく文化を私たちは守らなければならない。
すさまじい勢いで押し寄せる「同一化の波」、そしてこれも予想以上の早さで進む少子高齢化、このような時代状況の中で、伝統文化を守ること。それはけっしてやさしい営みではありませんが、日本文化学科は、そのために地域に学び、地域とつながることを大切にしたいと考えています。
8月1日~3日までの3日間の日程で行われるオープンセミナーでも、「踊ってみよう田楽! ふれてみよう神楽!-日本の伝統文化-」という講座を開設します。ここでは、安芸太田町の皆様のお力添えで、華やかな早乙女の衣装を身につけ田楽を踊っていただけます。また、神楽の衣装の試着や子ども神楽の上演など豊かなプログラムをご用意しています。まさに地域と大学の連携があってこその学びが体験できます。ぜひご参加ください。