近代日本文学への誘い -日本文学講読Ⅱ-
2019.05.22 授業紹介
1年生の必修科目「日本文学講読Ⅱ」では、文豪・夏目漱石の足跡を辿りながら、作品世界を受講生のみなさんとともに読み解いています。
授業後の感想を拾いながら、日本文化学科の学びの様子をお伝えします。
○夏目漱石の作品は難しいものが多いという先入観を持って読んでいなかったが、どれも奥が深いことがわかった。もう1回「こころ」を読んでみようと思う。彼が何を伝えたかったのかを考えながらこれから読んでいきたい。図書館にも行って様々な漱石作品を読もうと思った。これからの講義が楽しみだ。
広島女学院大学の図書館には、28万冊の蔵書があり、とりわけ文学書や文学研究書は充実しています。その中でも、漱石関連の書籍は、全国でも有数の蔵書数です。
この環境をぜひ生かしてください。 図書館で過ごすぜいたくな時間は、大学時代のかけがえのない思い出になることでしょう。
○高校までに習った文学作品は、常に正しい答えが用意されていたけれど、大学では、自分の読み方を大事にすると知った。来週からの授業が楽しみだ。自分なりの考えを持って参加できるようにしたい。漱石以外にも、鷗外や芥川なども読んでみたい。
○私は、高校のときに「夢十夜」を勉強したのだが、そのときは、私の意見と先生の意見の二択しかなく、固定された視野で作品にふれた。だが、日本文学購読のこの授業で、私と同世代の皆の意見や評論家の方の意見を聞いて、作品の捉え方が増えたなと感じた。
○私は高校の授業で「夢十夜」の第一夜を学んで、そのときは最後に女は百合となって男に会いに来るし、ハッピーエンドで終わると思っていたけれど、他の人や研究者の意見を聞いて、そうとは言い切れないと思った。特に柄谷行人さんの「自分がそのとき死んでいる」という意見に衝撃を受けた。いろいろな人の意見を知ることで視野が広がり、違う価値観から見られるため、作品を読むときの深みが増したと思う。
○国語の試験などは仕方がないことだが、一通りの解釈しか許されず、先生や模試の解説に納得できないことがあった。それに比べて、漱石の小説は、曖昧な分、解釈の余地があり、多くの研究者によって解釈本とも言える本が出版されているのも、現代の小説とは違うところだと思った。
優れた文学作品は、読み手の論理を揺さぶり、感性に訴えかけながら、開かれた多様な読みに誘ってくれます。友人と議論し、研究者の分析にふれ、「こんな読み方もあるのか」と感嘆し、さらに自らの読みを深めていく。ここに大学での学びの醍醐味があります。また、自分のものの見・考え方の傾向も、このような学びの中で捉えることができます。
○漱石が正岡子規と寄席通いで意気投合し、俳句の添削までしてもらうような仲だとは知りませんでした。今日は作家以前の漱石を知るということで、元々養子生活だったことは知っていましたが、作風に影響したであろう漱石の人生や時代背景を知ることができ、とても勉強になりました。今日、また漱石の著書を読む観点が変わったなと思います。
作家の人生にふれ、時代や社会の状況を調べる中で、これまで見えなかったものが見え、 漱石像が更新されていきます。作家論に学ぶこと、文学史的視点を持つことで、より深い探究が可能になります。授業では、作品と作家の実人生を直線で結ぶことを厳しく戒めつつも、近代的自我の在り方について深く掘り下げ、東と西のはざまで、日本のこれからと近代文明の行方を見つめ続けた夏目漱石という作家の生を、できるだけ丁寧に辿ってきたいと思っています。
○今回の授業では、「異化」という言葉がいちばん印象的でした。普段何気なく見ているものを異化する文学は、変哲のない毎日をもっと別の生き方ができるのではないかと考えさせるきっかけになり、豊かな人生にするのではないかと思いました。
○普段何気なく行っていることを異化するのが文学だと聞いて、文学の存在意味みたいなものが見えたような気がしました。
この授業では、ここで取り上げた「異化」をはじめ、様々な文学理論やその理論を支える用語についてもふれ、それを漱石の作品にあてはめながら考えていきます。文学をより深く読むための方法を獲得しつつ、「文学とは何か」という根源的な問いに対する一人ひとりの答えがおぼろげにでも見えてくる、そんな時間にできればと考えています。