2019年9月2日~13日の12日間の日程で生活デザイン学科の国内フィールドワークを実施しました。
旅のテーマは「日光と徳川ゆかりの文化遺産」。
「東照宮」をキーワードに名古屋・久能山・上野の東照宮と、日光の世界遺産2社1寺ほか文化遺産を訪ね、歴史・美術・建築について実地に学ぶとともに、日光街道などを実際に歩き、前近代の旅を体感しました。
その様子を7回にわけて、紹介します。
5・6日目 宇都宮~日光街道
9月6日(金)
午前は、宇都宮で宇都宮城址の晴明館の歴史展示室、宇都宮二荒山神社、大谷(おおや)資料館を見学し、午後は日光街道徳次郎宿付近の散策をしました。
晴明館には、宇都宮城と城下町の出土品やミニチュア模型、歴史年表などがあり、当時の様子を見ることができました。城址はほぼ市街地に飲み込まれて、一部、復元のような新たな創作のような櫓が建てられていました。
宇都宮二荒山神社は豊城入彦命を祀った神社です。大きな鳥居とそこから続く男坂が印象的です。境内は神門、本殿、拝殿、神楽殿、明神の井があります。神門から拝殿までも広く、神社を見渡すことができたのが良かったです。
大谷資料館では地下採掘場跡に入り、大谷石の採掘現場として使われた様子を間近に見ました。
広さは約2万平方m、深さは平均30m、最深の部分は地下60mであり、平均気温は8度前後の幻想的な空間でした。天井に穴が空いている箇所が所々にあり、暗い洞窟の中に日光が入ってくるところなどは特に神秘的でした。江戸時代中期から1959年頃まで手掘りで採掘が行われており、資料館でその当時の道具や服装を見た後での見学だったため、その作業の苦労がより分かり感動しました。
1959年からは採掘の機械化が始まり、実際に石に機械の跡が見られました。採掘された大谷石は近代建築三大巨匠のひとりフランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルの建材に利用したことで有名です。
日光街道では街道沿いにある智賀都神社を見学しましたが、ここは事前学修で読んだフランス人エミール・ギメによる『明治日本散策 東京・日光』で1876年にギメが立ち寄ったかもしれない神社です。
日光街道にはところどころ杉並木が見られ、江戸と日光の間を将軍や大名が参拝のために往復した当時の街道の様子を体感することができました。
(4年 中島 咲子)
9月7日(土)
今日は日光街道で日光の一つ手前の宿場町、今市と日光だいや川公園・だいや体験館へ行きました。
東武線で上今市まで乗って、そこからかつての日光街道のおもかげを残す日光杉並木街道に出ましたが、全37kmにわたって、断続的に遊歩道のように整備されています。道の両側にそびえ立つ杉並木は徳川家康の忠巨松平正綱が20年あまりの歳月をかけて植えたものだそうで、樹齢は約370年から380年と言われているそうです。
杉並木街道の保護と地域の文化を伝承するために整備されたという杉並木公園の遊歩道をしばらく日光方面に向かって歩きましたが、途中、江戸時代の名主屋敷や報徳仕法農家(レプリカ)が建てられていました。そこから大谷川(だいやがわ)沿いのだいや川公園に寄ったのち、ふたたび杉並木に出て、江戸方面に下今市に向かって散策しました。
なお、報徳仕法農家の二宮尊徳は、薪を背負って本を読む二宮金次郎像で有名ですが、小田原市栢山村の農家に生まれ、幼いころに父母と死別するも、くじけることなく懸命に働き、23才で家の再興を成し遂げた人物です。のちに、幕府の役人となり、日光御神領の復興に力を尽くし、今市の報徳役所にて70歳の生涯を閉じたそうで、日光ゆかりの人だったと初めて知りました。
日光だいや川公園では園内のだいや体験館に行きました。ここには日光東照宮の精巧な模型があり、1923年から6年間をかけて制作された10分の1模型の傑作と呼ばれているそうです。
陽明門をはじめとする建造物、眠り猫や本殿内の彫刻品など、構造はもちろん装飾や絵画にいたるまで実物をできる限り再現した精密な工芸作品で、体育館のような建物に実際の配置どおりに並べられて、その間を歩いて見て回ることができます。
先生も、せっかくだから寄ってみようとあまり期待していない様子でしたが、行って観ると想像以上に見ごたえがありました。もっと宣伝したらいいのにとちょっと惜しく思いました。
明後日、実際に東照宮などを観に行きますが、そのまえに建物の概要を見られたのもよかったと思います。
(4年 伊勢田 麻有)
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