7月5日の木曜チャペルで、わたしたちは、6編の原爆詩を手話も交えて群読し、わたしたちの願いを伝えました。
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
当時、小学3年生だった坂本はつみさんの詩は、原爆の恐ろしさをそのまま伝えています。「ひるがよるにな」り、「人はおばけになる」、恐ろしく強大な原子爆弾の破壊力。そのすさまじさが、素朴なことばを通して胸につきささってきます。そして、その破壊が、自然災害ではなく、人が作った兵器によって引き起こされ、何十万人ものかけがえのないいのちが失われたこと、その愚かしさと恐ろしさを、わたしたちは忘れてはならないと思います。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉さんのこの詩を、わたしたちは、手話と声で表現しました。仲間のひとりがずっと手話に取り組んでいて、それを今回の群読に生かしたいと考えたのです。全員が手話で伝えられるように、何度もビデオを見、練習を重ねました。戦争でいちばんに犠牲になるのは、小さな子どもや年とった人たち、身体に障がいを持つ人たちです。「としよりをかえせ こどもをかえせ」、こう書いた峠さんの気持ちを思いながら、わたしたちはこの詩を手話にしていきました。 また、どのように読むかについても、ずいぶん考えました。最初に聞いた中学生の群読では、声をかぎりに叫び、強い憤りを伝えようとしていました。それに対し、吉永小百合さんの朗読では、抑えた静かな読み方で深い悲しみが表現されていました。 わたしたちは、手話と声による表現であることをふまえ、少しゆっくり、その中に強い声も入れながら群読をしました。
原爆詩を何度も繰り返し読み、自分の声にしていくなかで、わたしたちは文学の力を感じてきました。文学のことばを通して描き出された状況・情景・人間の姿、それを通して被爆の惨状が、過ぎ去った過去のできことしてではなく、まさに今、目の前にあるものとして立ち上がってきたのです。一瞬にして子どもを奪われ、親を奪われ、美しい広島の街を奪われた人々の悲しみと憤りが迫ってきたのです。 わたしたちは、それを、わたしたちの声と手話で精一杯伝えたいと思いました。
わたしたちは、文学を学び、日本語を学ぶ学生として、ことばの力を信じたいと思います。 ことばを通して、被爆の実相にふれ、戦争の悲惨さと愚かさを理解し、武力や圧力ではなく、ことばを使って、平和な世の中を築くために力を尽くすこと。その大切さを噛みしめながら、原爆で多くの生徒・教職員のいのちが奪われた広島女学院に学ぶ学生として、これからもわたしたちにできることをしていきたいと思います。